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図鑑No.999 ウォール街のグレートベア リバモア

図鑑No.999 ウォール街のグレートベア リバモア

 

投資家のせかいには、相場そのものにさまざまな影響を与え、単独で市場の価格を動かしてきた特別な投資家が存在している。 他に類を見ない特別な存在の彼らを、人々は敬意を込めてこう呼んだ。      ――ーー伝説の投資家」、と。

ずかんNo.999 ジェシー・ローリンストン・リバモア

生息地:株
投資手法:スキャルピング、スイング、空売り、トレンドフォロー、株価操縦
特技:資金の管理、感情の制御、論理的な投資タイミング
有名エピソード:4回破産、3回結婚

 

最初に 紹介する でんせつの とうしかは リバモアさん だよ。

リバモアさんは 他に比較できる人がいないほど 波乱だらけの じんせいを おくったんだ。

日本のカリスマとうしか B・N・Fさんが 参考にしたことでも 知られているね。

 

リバモアのれきし

リバモアさんは ウォール街の 相場をひとりで動かしちゃうくらい 大成功していた相場師なんだ。でも その人生は せいこうと はさんと そしてじさつ・・・。 すべてが完璧ではない。必死な生き方に すごく惹かれる とうしかなんだ!

 

リバモアはアメリカの有名な相場師だ。生前中から投資の一挙手一投足がニューヨークタイムズの一面に掲載されるほど影響力をもっていた。(もちろん恨みも買うので凸電に悩まされていた。)

あだ名は「ウォール街のグレートベア」。ベアとは「熊」の意味のほかに熊の攻撃が腕を振り下ろす動作であることに例えて「売り」の意味を持つ。

彼はあだ名の示す通り空売りで巨万の富を築いた。・・・とは言え彼の得意な手はそれだけではない。そして失敗と成功を彼ほど経験した投資家はいない。

1877年7月26日、リバモアはマサチューセッツ州の片田舎で貧しい農家の子として生まれた。

子供のころから土地の開墾手伝いながら学校へ通っていた。父は厳しく、母は優しかった。

幼いころから算数の才能に優れた力を見せており、リバモアは知的欲求を満たすことを渇望していた。

 

14歳の頃

父は農業に専念させるため、無理やり学校をやめさせた。

これに反発したリバモアは母から5ドル(現在の価値で約16,000円)をもらい家出

家出したリバモアが行ったのはボストン。証券会社の黒板書き(※チョークボーイ)として働き始める。

※黒板書きとは・・・アナログな時代には株価がわかるように大きな黒板に書きだす必要があり、チョークボーイは壁に主要な株価をその都度書いて消し、書いては消しといった事をする。

記憶力と算術に長けたリバモアは、この黒板書きの仕事で株価を端から暗記していくうちに規則性があることに気付く。そして客が掛け金をスる姿を見て感情コントロールの重要性にも気づいていた。

 

金をスる客は計画性が無く、気分だけで銘柄を選び、根拠なしに購入し、恐怖に煽られ売り、どん欲に煽られ買い、新聞が良いというから買い、予想屋の推奨する株を買い、翌日にはこれらをすべてひっくり返した賭けをする。これは博打であってトレードではなかった。

 

 

15歳の頃

バケットショップでトレードを始める。

※バケットショップとは・・・のちに差金決済取引の原型となる取引場。しかしこの頃はいかがわしい場所であり株の取次をするというよりはノミ屋のようなものであった。店側の勝ちが95%を占めるぐらいのイカサマな内容だったが、実際に証券取引場へ金が届いて株のやり取りをしないという点は、当時としては迅速な取引が可能なことを意味している。ちなみにこのノミ屋形式は株価大暴落が起きた際に規制が進んでいく。

初めての取引ではUSスチール株を取引し5ドルを元手に3ドル12セントを手にした。ここから彼のトレーダーとしての人生が始まる。

チョークボーイを辞め、バケットショップに通い詰めるようになる。自分のルールに従ってトレードを繰り返し、1,000ドル以上のもうけ(現在の価値にして約310万円以上)を手にする

数年間このトレードによって儲けを得るが、リバモアは勝ちすぎてしまったことでバケットショップから出入り禁止をくらってしまう。

 

 

20歳の頃、1度目の破産

ニューヨークへ行く。

 

大都会へ勝負の場を移す。この時の資金は2500ドル(現在の価値で約780万円)。

バケットショップではなく、正規の取引場で取引を始める。

半年で破産。

敗北の原因は速度だった。バケット・ショップでは注文が実際の株券の移動が無く即刻執行されるのに対し、証券取引場の株取引は株券を実際に売買するため注文してから決済されるまで時差があった。また手数料の仕組みも違っており、この時のリバモアの手法は実際の株取引には向いていなかった。

文無しになったが、取引場オーナーから1,000ドルの借金をして再び勝負にでる。

近隣のバケットショップでは出入り禁止になっているため、セントルイスへ行く。

4日で1,000ドルは3,800ドルになった。ニューヨークへ帰り借金を全額返済。

再び株式市場へと立ち向かうが戦績はトントンだった。

青天井で取引できるバケットショップの噂を聞き、ニューヨークの川向いであるホーボケンで勝負をする。

約9,000ドルの利益を得る。そして再び出入り禁止となる。

合計で10,000ドルを超える資金を手にした。これ以上バケットショップで取引をすると暗黒街から命を狙われるため、株式市場での取引に専念していくようになる。

 

 

23歳の頃、1回目の結婚

ネティ・ジョーダンと結婚。ネティへは12,000ドル相当の宝石類をプレゼントしている。

 

 

24歳の頃、2度目の破産

株のバブル発生。リバモアはノーザンパシフィック株で50,000ドル(約1億8千万円)を手にする。

相場の波を見極めたリバモアは引き続き、反転の調整局面で売り、そして買い注文を入れる。しかし膨大な量の注文に対して約定は遅れ取引が遅延、この50,000ドルを失う。2度目の破産。

リバモアの売り買いの注文は完璧なタイミングだったが、以前と同じく取引遅延によって全財産を失った。

妻に宝石を処分して再起の元手にしたいと頼むが断られる。別居生活へ。

この頃、新興のバケットショップが出店し始めており、ここでリバモアは細々とした取引を始める。最初こそ小さな取引だったが、十分な元手を手にした時、休眠株式の「株価のつり上げ」を行った。バケットショップでこの安値の休眠株を購入した後、実際の株式市場でも購入、値を上げだしたところで利確した。これを繰り返し再び出入り禁止になる。

約5,000ドルを手にする。そして再び株式市場で取引を開始する。

 

 

29歳の頃、不思議な逸話

取引は順調で、資産は約4万ドル(約1億3千万円)になった。市場全体は強気の雰囲気だった。

ある日リバモアはユニオンパシフィック株で売り注文を限界まで出す。翌日、地震が発生

 

 

3日目に株価は暴落。リバモアは虫の知らせがして空売りをしたという。

この暴落で25万ドルの利益を手にする。

この後も順調に勝ちを重ねて、100万ドルの資金を持つようになる。

 

 

30歳の頃、3回目の破産

1907年の恐慌が発生。

 

空売りによって一日の取引で100万ドル(約32億円)の利益を手にする。翌日も売りによって利益を倍々に増やそうとするが、JPモルガンから「市場の明るい未来のため」売りを控えるよう依頼される。そして手仕舞いとなる。

翌日買い戻しに出る。一時的な反騰を見て利確すると300万ドルの利益となっていた。

先物商品市場へと手を出すようになる。グレートブルとあだ名のつくアーサー・カトンと対決。劣勢で250万ドルの負けとなるところだったが、策を講じて2万5千ドルの負けで手仕舞い。休暇へ入る。

休暇中、コットンキングと呼ばれ綿花市場で財を成したパーシー・トーマスが綿花先物3月限の買い占めに失敗したことを耳にする。これを見て綿花7月限の買いを進める。買い注文の見せ玉によって値を吊り上げ、また偶然にも新聞でリバモアが綿花買い占めのニュースが流れたことで相場が高騰する。すぐさま利確する。

ある日、破産したパーシー・トーマスとホテルで会いパートナーになろうと持ちかけられる。最初は断ったが、リバモアはこれを受けた。

誰とも組まず一人でトレードするという自分のルールを破って、他人の情報を頼りにし、他人のゲームに乗ってしまった。さらに買いに出た際に、思惑と逆に向かっていった価格で損切ではなくナンピンをする

100万ドルの負債を負う。

 

 

31歳の頃、3回目の破産を正式に申請

証券会社のオーナーから25,000ドルの支援を受ける。

3週間後、15万ドルまで増やす。しかしこの支援は見せかけだった。取引時にリバモアの注文はキャンセル、あるいは逆に注文されることがあり、しかもそれは親族会社の利益をロンダリングするためであった。利益は全て泡と消えた。

続けて2人に痛い目にあわされたリバモアは、ここから数年間小さな取引をするのみであった。

自分にかかった弱気の呪いを解くために、リバモアはついに法的な破産申請を出す。1915年に正式に3回目の破産となるのだが、債権者のもとへ伝えに行くと誰もがこれを受け入れ再起を応援したという。

 

 

38歳の頃

1915年第一次世界大戦、戦時下の相場。

 

 

信用枠を提供してもらい、リバモアはジっと自分に有利な相場を待った。ベスレヘムスチール株で5万ドルの利益を得る。負債を帳消しにしたことで自信が戻り、相場を張れるようになった。

ここに至って、リバモアは取引ルールに従う他に重要な戦術、メンタルコントロールを手に入れた。

戦時市場で浮かれ立つ中、ルールに従い徐々に売り玉を広げていく。やがて戦争の和平協定というショッキングなニュースが流れた。すると一転、相場は下落し始める。空売りの成功により、リバモアの資金は大きく復活した。

 

 

40歳の頃、離婚そして2回目の結婚

債権者たちのもとへと行き、借金を全額返済する。

ドロシー・ウェントと出会う。

ネティとの泥沼の離婚裁判が始まる(結婚して18年目)。夫婦は別居状態にもあってなお、リバモアは週に1,000ドル(約300万)の生活費を与えていた。裁判は次第にリバモアに有利に進んでいく。最終的にネティには潤沢に手切れ金、不動産などなどを提供して離婚が成立した。

ドロシー・ウェントと結婚する。

ここから数年間、リバモアの生活は安定する。毎朝6時に起き、毎晩10時に就寝し、静かな朝の空気の中で朝食をとった。週末にはドロシーが主催でパーティーを開いた。トランプのブリッジ、ヨット、音楽、ビリヤード・・・相場でも勝ち続け楽しい毎日が続いた。

1919年 42歳の時に第一子が生まれる。

1923年 46歳の時に第二子が生まれる。

ここからしばらく強盗に家に入られたりの事件はあるが、私生活はおおむね平穏な日々が続くことになる。そして相場でも安定して勝ち続けていた。

 

 

52歳の頃

1928年秋から1929年春にかけて市場は過熱していた。リバモアも徹底して買いにでていたが、過熱しすぎの様子を見ると一転して手持ちの株をすべて売り払った。

1929年夏へかけて、依然として市場は強気だった。リバモアは戦略を練った。明らかに株価は上げすぎているが、かつて彼は空売りの仕掛けが速すぎたために痛い目を見たことがあった。

2度、試しに空売りを仕掛けたが失敗した。夏に3度目の空売りをすると利益が出た。そしてこの夏から本格的な空売りを始める。

この時の相場は異常だった。何を買っても儲かるとされ、あらゆる経済指標はプラスを示していた。靴磨きの少年までもが儲かる株の銘柄を得意げに話していた。

やがて株価の大暴落が訪れた。

リバモアは一億ドル(約1,700億円)を優に超える大勝をした。リバモアの相場師人生で最高の勝ちだった。

しかし事務所には恨みの電話がひっきりなしにかかってきた。新聞では暴落の原因はリバモア率いるシンジケートによるものだと報道された。この頃、私生活でもリバモアは抑うつに悩まされていた。さらに妻がアル中になったり、義母との関係に悩んだりしていた。息子は学校でトラブルを度々起こした。

やがてリバモアは女遊びによる気分転換で憂さばらしをするようになる。妻ドロシーも不倫を始めていた。

 

 

55歳の頃、2度目の離婚

1932年、妻ドロシーと離婚。リバモアとドロシーは離婚成立の法廷で別れた。

別れた20分後、ドロシーは不倫相手と結婚式を挙げた。リバモアは離婚の際に前と同様、多くの金、宝石、株を提供した。ただドロシーはこの厳選された株を売り払い「安全な鉄道株」に買い替えた。やがて鉄道株は無価値になった。

 

 

56歳の頃、3度目の結婚

 

1933年3月、ハリエットと結婚。二人はパーティーで出会った。ハリエットは4度目の結婚であり、前夫はみな自殺していた。

ドロシーとは子供の親権を巡り対立が続いていた。

さらに10月になると婚約不履行という名目でリバモアに対し女優のネイダから民事訴訟が起こされる。長い間二人は不倫していた。新妻との関係はすぐに悪化した。

リバモアの生活は次第に不穏なものになっていく・・・。

12月になるとリバモアは行方不明になった。妻ハリエットは警察に捜索願をだし、この大富豪の失踪で世間は騒然とした。

失踪から26時間後、ふいにリバモアは自宅に帰ってきた。失踪の理由を尋ねられても覚えていない、と答えた。この頃からリバモアの様子は変化した。周りの人たちは人柄が変わったとささやき合った。社交界にもあまり参加せず、好きなブリッジゲームもしない、身だしなみも乱れていった。

リバモアを相手取った訴訟(証券取引、会社の財産棄損等々)でも自分の主張を通そうとせず、敗訴が続いた。

トレードもかつてのするどさを失い、資産はみるみるうちに減っていった。

 

 

57歳の頃、4回目の破産

1934年3月、リバモアは連邦裁判所に破産申請を提出した。(ただ、巨額の利益がどのように消えていったのかは明らかではない。)

世間の景気は悪かったきっかけとなった1930年の株価大暴落の原因はリバモアにあると非難され続けた。

1935年、元妻のドロシーが息子のジェシージュニアをライフルで撃つ事件が起きる。二人とも酒に酔い、親子喧嘩の末で起きた事件だった。マスコミは当然この事件に飛びついた。

あらゆる風説が流された。

やがて息子の容態は回復したが、ドロシーからは離され、現妻である継母ハリエットの元で暮らすことになった。ハリエットと2人の息子たちの関係は最悪だった。

この頃、リバモアの気分は最悪だった。

 

 

63歳の頃、自殺

リバモアのトレードは振るわなかった。

 

 

 

1940年、息子から経験談を本にしてはどうかと勧められて『How to Trade in Stocks』を書いて出版する。

評判は良くなかった。当時においてリバモアの取引手法は独創的すぎて理解されることはなかった。

1940年11月28日、正午にホテルへ向かい一人でランチをする。思いつめた様子だった。食事中何度か手帳にメモをしていた。午後2時半に一度オフィスへ戻った後、再び4時半にホテルのバーへ行き、オールドファッションを飲んだ。

5時半に席を立つとクロークルームの隅のスツールに腰かけた。銃を取り出し右耳の後ろにあてがい、引き金を引いた。

享年63歳、ピストル自殺で人生の幕を引いた。

リバモアの手帳には八ページにわたって遺書が書かれていた。

「最愛のニーナ(ハリエットの事)へ。いよいよどうしようもなくなった。なにもかも事態は悪くなるばかりだ。私はこれ以上頑張れない。もう続けていけない。私にはこれしか方法がない。私は君の愛には値しない人間だ。私は落伍者だ。本当にすまないが私にはこれしか方法がないのだ。愛をこめて、ローリーより。」

翌年、彼の遺産が清算され、現存資産1万ドル、負債額が約36万ドルと発表された。(ハリエットは300万ドルの現金、100万ドルはくだらない宝石をこっそり持っていたようだ)

リバモアさんの 浮き沈みの激しい人生は こうして終わったんだよ。

けた外れのおかねと メンタルのつよさを 持っていて 正確なトレードをしていたんだね。

 

 

リバモアのしゅほう

リバモアさんは いろんな手法を 駆使してトレードしたんだよ。まだパソコンも無い 時代だったのに 今のトレード分析にも 負けないくらい正確だったんだ!

基本はトレンドフォロー。スキャルピング、時間足分析、相場操縦などあらゆる手法を利用した。

 

購入のタイミング、資金の管理、実際に金をかけた時の感情制御が最も重要だとしている。なおリバモアが破産した時は全て自分のルールを破ったときだった。

 

主だったルール

  • 取引銘柄数を限定する。人が集中して観察できる銘柄数には限りがあるから。
  • 高値更新を繰り返す銘柄は「買い」
  • トレンドの変わり目を特定することに力を注ぐ
  • チャートに示される内容に逆らわないこと
  • 投下資金の10%以上の損失を出してはいけない
  • 完全に相場を見ない休みを定期的にとる事
  • 偶然幸運に巡り合った時は全力で利用する事
  • 当日の高値が前日の高値より高く、逆に終値が前日の安値より低い場合、前日より出来高が多い場合は要注意。
  • 予想と逆方向に向かったらすぐに売り払う事
  • ナンピンはしない
  • チャンスと見てもまず資金の2割で打診買いをして、数回に分けて買い進める事。
  • 期待をしてはいけない
  • 他人の言葉は絶対に聞いてはいけない
  • どん欲・希望・恐怖を支配する事

 

感情の制御とトレンドフォローは一貫している。

トレンドの判断には「ピボタルポイント」をとらえることが重要だとした。

ピボタルポイントとは

リバモアが使っていた戦略の核となるポイントでトレンドの転換点のこと。インジケーターでよく使われるJ・W・ワイルダー開発のピボットポイントとは違うので注意。

購入タイミングにおいてこれは最重要である。トレンドの流れが確定するのを待ち、ポジションをもち流れに乗る順張り戦略と言える

もちろん取引を開始した後もボンヤリと眺めているだけでなく値動きの兆候を、微妙な変化1つ1つを見逃さないよう神経を張り詰めて見守る。とにかく我慢強く、待つことが大切。

さて、このピボタルポイントの具体的な探し方だが、リバモアメソッドというチャートではなく独特の帳簿に数字やトレンドを記入していく方法を取っている。

 

この表はエントリーポイントと利食いポイントを確認するために使用する。

一列目  セカンダリラリー
二列目  ナチュラルラリー (一時的な反発)
三列目  上昇トレンド
四列目  下降トレンド
五列目  ナチュラルリアクション (一時的な反落)
六列目  センカンダリーリアクション

これらの材料を日々のテープから読み取りメモをしていく。

日々の価格の上昇や下落から、現代でいうチャート上短期の支持線、抵抗線を見つけ出す。

記載方法としては

  • ナチュラルリアクション列には上昇トレンド列の最終株価から約6ポイントの最初の下落が起きた時。
  • ナチュラルラリー列にはナチュラルリアクション列の最終株価から約6ポイントの最初の上昇が起きた時。
  • 損切は想定したトレンド方向と逆方向に3ポイント動いた時。

この転換点が最初に注視するピボットポイントになる。同様にポイントの移動が進むごとに赤線や黒線などでトレンドの方向性と強さを探っていく。ちなみにこのポイントの率については記載が無いためリバモアルールが何%の価格推移によってトレンドを見ていたのかはわからない。

ピボットポイントから3ポイント想定された方向へ相場が動いたときはすぐに買う。打診買いは20%で行い、徐々にトレンドが確実になるポイントの移動ごとに買い増していく。

細かい部分は不明だが、解釈してみると以下の手順になる。

  1. 取引高の大きい大型株に絞って監視(低位株だと多少ルールが変わる)
  2. ファンダメンタルズ、相場環境(上げすぎや下げすぎ)は無視
  3. 買いのピポットポイントが作成されるまで待機(この待機時間かなり長い)
  4. ピポットポイントが作成(3ポイント上昇)されたらエントリー
  5. エントリー時には打診買いから始める。
  6. 想定と違う値動きをしたら手じまいする〔例:エントリーから-3ポイント(損切り)した場合、上昇トレンド中に、高値-終値の値幅が、過去1ヶ月の標準偏差から3偏差を超える下落があった場合(逆方向への出来高の急増これを危険シグナルとする)、その翌日の始値では反対売買する、観測が下降トレンドに入った場合、売り側のエントリーの条件に合致した場合(ドテン)〕

 

 

このポイントの設定次第だが、この手法は年に数回程度エントリーを全力でして利益を最大化している。

リバモアのめいげん

良いアイディアが相場で大きな利益を上げる秘訣ではない。最も重要なのは、絶好の時が来るまで静かに座っていることだ。

 

怠惰な人、感情をコントロールできない人、手っ取り早く儲けようなどと思っている人は、絶対に利益を上げることはできない。

 

ウォール街に、あるいは株式投資・投機に新しいものは何もない。ここで過去に起こったことは、これからもいく度となく繰り返されるだろう。この繰り返しも、人間の本性が変わらないからだ。人間の知性の邪魔をするのはつねに、人間の情報であり情動である。私は以上のことを確信する。

 

リバモアのエピソード

 

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